今日は少し遠出をしましたが、やはり関係妄想はありませんでした。
よかった。
私は孤立しています。ということを、友達にメールしたら「みんな孤立しているよ」と返事がきました。
その友達は某機械メーカーの正社員なんですが。
今の日本社会は、孤立した人間ばかりいるのかもしれません。
というのも、たいていの場合、日本の人間関係というのは、ある利害に基づいて、合理的に計算した結果、結ばれた契約関係だからです。
社会学を知っている方には、ゲゼルシャフトといえばピンとくるのでしょうが。
たぶん多くの人は、商品の生産や販売や流通や宣伝や、要するに商品経済の中で生きていることでしょう。いや例外なくそうです。
商品の本質は貨幣と交換できるということにあります。
仕事の報酬は貨幣で支払われます。ようするに貨幣が仕事の目的なのですね。
自分の労働の結果が直接自分に返ってくるわけではありません。
自分の労働の結果を商品にしないと、貨幣にならないからです。
だから労働に多くの時間を取られるにもかかわらず、つまり生活そのものが労働とほとんど同じなのですが、労働は貨幣を得て、それで生計を立てる手段にすぎないわけです。
だから会社などの人間関係は、かりそめの関係で、なにかよそよそしいのです。
また、かりそめの関係だから、利害から離れたら、ないも同然ですね。
こういう人間関係が支配的になったのは、産業革命と資本主義経済が現れてからだといわれています。
それ以前の社会では、仕事はそれ自体が目的で、その背後には社会と自分が緊密に関わっているという意識があったのだそうです。
日本でいえば、伝統工芸の世界に、それと近いものが残っています。
あるいは農業です。農家は自分で作った作物を自分で食べますから、生産活動がそのまま自分に返ってくる面があります。
くわしくは『近代人の疎外』(岩波新書、1960)をお読みください。
いま書いたことは、その本に書いてあったことの、引用ですので。
posted by 21世紀中年 at 21:40|
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日記
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