2012年02月11日

人生の意味ってなんだろう?

私は精神病院に20年間通い続けています。

ふと自分には人生なんてなかったなと思いました。

普通の人生ってなんだろうかと考えてみると、

学校を卒業したら就職して、やがて結婚、子供が生まれて、

家でも建てて、子供が成人して、孫が生まれて、引退したら悠々自適。

というのが、平穏で幸せな人生だと思います。

こういう幸せな人生を確立するには、苦労もいるのですが、

それはそれで、人生のスパイスなんでしょう。

さて私はといえば、46歳にして、独身、無職、子供なし、家なんてとても。

もう大学生ぐらいの子供がいても、ちっともおかしくないのですが。

ああ、なんのために生きてきたのだろうか、という気分になります。

人間は生きているだけで、意味のある存在だとは思います。

けれども、それは宗教的な見方でしょう。

一般的な社会常識からすると、やはりまともな社会生活をしていないと、

意味のある人生とはいえません。

でも、そんなことを考えるのは、私が人間だからで、

動物だったら、そんなことは考えないでしょう。

動物は、ただ現在を生きているだけですから。

人間は、自分の死を知っているので、未来を意識します。

だから、意味のある人生を送りたいと、考えるのでしょう。

でも、私は東日本大震災の被災者が、悲惨な目にあったことを思うと、

人生は、不条理なのだと思うのです。

築き上げてきた幸せが、一瞬で崩壊してしまったのですから。

私の人生は精神病にかかったおかげで、

まったく順調でなかったのですが、それも不条理だと思います。

運命というものは、やはり働いているのですね。

必ずしも、自分の思うとおりに、人生なんて進みません。

自殺する人の気分が、私にはわかります。

ああ、とりとめがないですね、こんなこと。

むかし「人生、不可解」と遺書に書いて、

自殺した青年がいたと、聞いたことがあります。

46年生きてきて、やはり私も、人生は不可解だと思われるのです。
posted by 21世紀中年 at 21:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

愚の精神を持ってみたい

このところ自殺願望にとりつかれていました。

まともに働きもせず、親の世話になっていて、自分はどうしようもないクズだと。

思考が煮詰まり、頭がきりきりしてきて、苦しくなりました。

それで早く眠ってしまったのですが、今朝は4時に目覚めました。

ラジオのスイッチを入れたら、インタビューをやっていました。

NHKのラジオ深夜便でやっている放送です。

そうしたら、20年間禅寺で修行して、

そのあとアメリカの大学に留学し、今は大学教授をやっている方が出演していて、

「愚」という精神が、「近代知」が煮詰まった現代では必要ではないか、

というお話をされていました。なるほどと思いました。

「近代知」というのは、科学技術に代表される、理詰めの知性です。

これは大量生産、大量消費という、現代文明を可能にしました。

それは、地上に豊かな社会を実現しましたが、弊害も大きかったといえます。

そのことは福島で起こっていることをみると、よく解ります。

「大愚」という言葉があります。

せぜこましい知性より、「愚」であったほうが、智慧が深いということだそうです。

わたしは、理詰めで賢くならないと、いけないかのように、思っていたのですが、

「愚」でいいのだと思うと、気が楽になりました。

犯罪的ではいけないと思いますが、「愚」であることは、おおらかでいいという気がします。

「愚」の実例として、マザーテレサさんが、出されていました。

死に瀕している人々を、とにかく世話をする、というのは、利口な人ならやらないと。

なるほどと思います。
ラベル:日記 精神病
posted by 21世紀中年 at 07:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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